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     大宇宙 三千世界と また称す
     我等小さき人類の
     歴史を尋ね諸々の
     神典仏典学術書
     推理小説など読み比べ
     必ず一つの結論を
     見出(みいだ)すなれば「わからない」
     その一言につきるかな
     さんざん迷いしその挙句
     我が日本国に大正の
     十年十月十八日
     世に現れ師瑞霊の
     神書「霊界物語」
     手にすることも不思議なる
     縁(えにし)無ければ適(かな)わぬと
     言われし神秘の宝物
     金剛不壊の如意宝珠
     これを手にした人々は
     読めば読むほどつゆ知らず
     慢心起こして我こそは
     天下の英雄英傑と
     頭に油を注がれし
     聖書の預言者英雄の
     如くに社会に名乗り上げ
     思い思いの霊界を
     花咲かせつつ勇ましく
     闘わせつつ世に広め
     拝読者同士派に分かれ
     兄弟喧嘩の勇ましき
     言論戦を展開し
     綾の聖地や亀岡の
     聖地を取り合い実権を
     握らむものと各々の
     全生命を捧げつつ
     負けじ魂発揮する
     不思議の力の源は
     これの霊界物語
     永遠平和の礎を
     もたらす神書と思いなば
     この大宇宙に鳴り渡る
     大活動の言霊の
     縮図なりしと覚りける
     友と戦うその為に
     穴の開くほど読み倒し
     他者の論理の穴探し
     盛んにやり合い各々の
     折られし鼻を高くする
     鍛え抜かれた逞しき
     宣伝使達も何故かしら
     内弁慶の外鼠
     社会に出れば借りて来た
     猫より更に大人しく
     小さくなりてへこへこと
     社会のパーツになり切りて
     上司に怒鳴れ足元を
     部下や同僚にすくわれぬ
     様にとハラハラ身を縮め
     生きておるとは人間の
     世の中こそは裏腹と
     よく言えしもの月読みの
     世界の英雄宣伝使
     ネット社会や夕暮れや
     民家の中では井の中の
     蛙もどきに虚勢張り
     六尺五分の魂を
     鼓舞して夜昼変身し
     天国霊国往来し
     昼使いたるエネルギー
     夜に補給し復活し
     ウラル・バラモン・三五(あななひ)の
     三者の間を取り持ちつ
     生きるが地上人類の
     歴史と宿命(すぐせ)と覚りなば
     何をくよくよ大過去や
     大未来などを想像し
     むざむざ時を浪費する
     暇などあろうか今こそが
     我等に降りし天来の
     大神劇の舞台なり
     各自に日々(にちにち)新たなる
     生み出す霊界物語
     一人ひとりの体験談
     ブログや日記に書き出して
     読み返しては自画自賛
     モチベーションを上げながら
     ライバル多き世の中を
     勇んで進め神の子よ
     ああかむながらカムナガラ
     御霊幸倍(みたまさちはひ)ましませよ
     神素盞嗚大御神(かむすさのをおほみかみ)
     瑞(みづ)の御霊(みたま)の大御神
     ああかむながらカムナガラ
     御霊幸倍(みたまさちはひ)ましませよ

           (平成二一年二月二〇日 旧一月二六日 垣内政治 識)

 案山子彦は『蜘蛛の巣遊び』による言霊戦が一段落すると、
舞露愚(ぶろぐ)と呼ばれる無料スペースに
日記の様な形で日々感じたことを書きこむのが楽しみの一つでもあった。
その内容は主に『霊界物語』を世に残した瑞霊真如聖師の膨大な量の書物を、
一文字も漏らすことなく少しずつ引用して、これに日々感じたことを率直に、
何の飾りも無く書いて行くことだった。

 案山子彦は元来、学歴がそれほどには無かったのだが、
閃きが長けていたので、その内容の信憑性はともかく、
いろいろな角度から、日々の思いつきを書き並べることには、
あまり苦労をしなかったのである。

 そもそもこの舞露愚というものには、
特定個人に対する誹謗中傷以外には特別な規制はかけられていない分、
あまり信憑性の無い、日々の思いつきを書き並べても、
誰に苦情を言われることもない各自のよいはけ口であったから、
この舞露愚への想像力溢れる書き込みがもとで論争になったり、
世の中が変わる様なことは滅多に無かったが、
案山子彦が舞露愚に書いたことによく似たケースのことが、
近日中に他所で起こって新聞沙汰になることも多かったので、
案山子彦は誰言うとなく『現代の預言者』の様に『蜘蛛の巣遊び』の世界では、
囁かれる様になっていたのである。

案山子彦『舞露愚を書いていてどうも気になるのは、
     俺が書いたことによく似た事件を世界中ひっくり返して探し出して、
     ニュースにして騒いでいる様な気がすることなんだけど、
     まさか、そんなことではなくて、
     本当に予言になってるんじゃないよな…
     俺はいちいち予言するつもりで
     舞露愚に書き込んでるわけじゃないんだけど、
     世界各地の何処かで似たようなことが起こるってことは、
     預言ということにはなってるのかもしれないな…』

…と、独り言せずにはおれないこともしばしばだった。

 「よげん」には、二種類ある。
一つは『予言』と書いた場合で、これは『予め言う』ということで、
後に必ず起こることを予告しておくという意味になるのだが、
『預言』と書いた場合は、『言葉を預かる』という意味になり、
つまり、神々からの将来に対する警告を一時預かって、
良いことならばそのまま実現する様に努力し、
悪いことならば、なるべく実現しないように努力する為の指針にするのである。

            (平成二一年二月二六日 旧二月三日 垣内政治 識)

案山子彦『俺も中学一年生の頃の【ノートルダムの大預言】ブームで、
     【預言】という言葉を知った時には、
     この世の終わりを体験しなければならないのかと思って、
     随分と将来を悲観したものだが、それがきっかけで、
     世界滅亡回避のためのメッセージを発信しようと考えたのが、
     神の道に目覚めたきっかけだったが、
     次第々々に瑞霊真如聖師の世界に引き寄せられて、
     遂に三五(あななひ)の教えに辿りついたおかげで
     【預言】と【予言】の違いがわかる様になり、
     世紀の大預言者と言われるノートルダムも予言者ではなく、
     預言者であるということが理解出来て、
     その後の人生は随分と気楽に送って行ける様になったのだ。』

と、一人部屋で舞露愚を書き込みながら、案山子彦は回想に耽り始めた。

案山子彦『俺が【蜘蛛の巣遊び】を始めたのは西暦二〇〇一年だったから、
     既に【ノートルダムの大預言】にあった
     西暦一九九九年七の月に天から世界を滅ぼしにやって来る筈だった
     【恐怖の大王】も遂に出現しなかったその後だが、
     俺の【蜘蛛の巣遊び】の母体になる
     【七四十一大神日記】を書き始めたのは西暦一九九八年六月からで、
     とうとう自宅でパソコンを使う様になって
     間もなくの頃のことだったから、
     丁度、【ノートルダムの大預言】の
     一九九九年七月世界滅亡預言の一年前のことだった。
     まだあの頃は【蜘蛛の巣遊び】は今ほど進んでおらず、
     せいぜい伝言のやりとりをするくらいだったから、
     連絡網で活躍していたのは電話やファックスの方だった。
     俺も当初は『七四十一大神日記』を、
     せっせと三五教の事務局にファックス送信していたが、
     日の出島国内は激しい経済危機に襲われて、
     気楽に働きながらやってたその活動も、
     仕事が途端になくなって電話料金が払えなくなってしまい、
     自宅からの送信はやめて、
     やむなく近くのコンビニからファックスしてたりしてたのだが、
     その頃から、どうもそのファックスの内容が傍受されてる様な
     気配がし出したんだよな…』

 『七四十一大神日記』というのは案山子彦が編み出した神だったが、
ただの架空の存在では無く、
案山子彦の霊感を鋭敏にする不思議なキーワードであった。

『七四十一大神』には『みんななかよく』とか
『みんなしあわせになれ』という意味が秘められている。

『七四』は『なかよく』、『十一』は『みんな』、
また、『神七』が『みんな』を意味し、
『四十一』が『しあわせ』を意味するのだが、
ちょっとした数遊びの様なつもりで
案山子彦が始めたことであったにもかかわらず、
日毎に生命と意志を感じさせるものになっていったのである。

           (平成二一年二月二八日 旧二月五日 垣内政治 識)

 ちょうどパソコンのOSの中にいくつかのアプリケーションがあったり、
名称を付けられたフォルダがあって、
各フォルダの中にもいくつかの名称をつけられたフォルダがあって、
案山子彦というパソコン内に設けられた
『七四十一大神』というアプリケーションの中に、
瑞霊真如聖師がいろんなソースやファイルを、
またフォルダ別けして保存して行く様に、
少しずつ神霊界の秘め事がそこに蓄積されて、
案山子彦という一個の個性的なパソコンが構築されて行く様に、
案山子彦の活動は日々盛んなものになって行ったのであった。

いわば『七四十一大神』は
案山子彦が開発した一つのバージョン・アップ・ソースというわけで、
これが各自のOSにインストールされると、
各自にバージョンアップした活動が始まる様になっている。

しかし、当然の如く、このバージョン・アップ・ソースを拒めば、
古いバージョンの機能しか果たさないのだ。

           (平成二一年三月一日 旧二月六日 垣内政治 識)

案山子彦『一度、仕事が無くて電話料金を滞納して電話が止められた時に、
     ちょっと離れたコンビニにクルマで
     ファックスしに行ったたことがあったが、
     次の日にまたファックスをしにそのコンビニまで出かけたら、
     同じユニフォームを着た男達が、
     そのコンビニの近辺を張り込んでいて、俺の顔を見るなり、
     こそこそと引き上げて行ったこともあったし、
     その翌月に電話が止まった時には、
     そのまま料金を支払わずに置いてあるのに、
     「七四十一大神日記」を通じて
     真夜中のニュース番組のキャスターと対話が出来た時には、
     流石の俺もちょっと魂消たけれど、冷静になって考え直すと、
     どういう事情だかわからないけれど、
     こういう状況になったのなら、
     これを利用しない手は無いと考えるようになったんだっけ…』

 当時、案山子彦は宇宙人達が、常に上空で姿を隠しながら、
地球人達の言心行を監視していると考えていたので、
想像力が豊かな案山子彦は、もしかしたら、自分が毎日、
パソコンの中に書き込んでいる日記を、
宇宙人達の高度な技術で中継して、国内の公安とか諜報機関を介して、
テレビ局などの各報道機関に送信してくれているのかもしれない
と思うようになったのだが、
それからしばらくすると超常現象を科学的に解明するテレビ番組で、
テレビ画面から出ている電磁波を、
外に仕掛けたパラボラ・アンテナで傍受することが出来る
という内容の特集を見たので、
デスクトップパソコンのモニターから出ている電磁波を傍受している連中が
もしいるとしたなら、今起こっていることも、技術的には決して
説明のつかないことではないということを知って納得したのだった。

 そこで次に案山子彦が考えたのは、
情報を先取りしていろいろと騒ぎ立てしている連中に対しての
予防線を張ることだった。

案山子彦『敵か?味方か?それが問題なんだよな…
     宗教的な摂理から問い質して行けば、
     俺のやっていることは絶対的に善であり、正義なんだが、
     表面的な損得だけで物事を考えている連中にとっては、
     物質的な損害を被ることは何よりも不愉快なんだ。
     現代は人類史にとっての大掛かりな「めぐり取り」の時代だから、
     損害を被る者は、その損害によって、
     大過去世からの罪の償いをやっているのだから、
     その損害によって天国に復活する資格を取り戻せるのだけれど、
     神霊界の天国の存在などにはまるで興味が無い、
     物質至上主義者にとっては、そんな考えは全く受け入れ難いものだ。
     損害を被りながら「神様有難うございます」などとは
     口が裂けても言えない様な連中が、この社会を牛耳っているんだから、
     連中に次にどんな損害が発生するかなんてことを
     俺の日記に書いたりしたら、
     せっかくの罪の償いを邪魔することになってしまうんだから、
     世界を救おうとしてらっしゃる神々が、
     俺にそんなことを書かせるわけがないから、
     つまり、俺にはそんな情報が入って来るわけがないんだ。
     俺はいつも事が起こってから、
     その意味を原理を通じて紐解いているだけなんだが、
     連中はそれをどうしても信じようとしない。
     実は知っているのに、
     俺が自分の意志で隠してると思いこんでやがるんだ。
     いくらそれを説明しても理解できないならば、
     それならそれで、それを逆に利用してやれば、
     俺にとっての予防線になるに違いない。』

 案山子彦は、自分が無力であることをよく知っていた。
しかし、それなら相手の力を使えば、
何とか太刀打ち出来るものだということも、理屈の上ではよく知っていた。

それは生計を立てる為によくやった肉体労働で学んだ秘訣でもあった。

 重量物を動かす為には、自力で動かそうとしても無駄だが、
その重量物の重さを利用すれば、非力な自分でも動かすことが出来る。
重量物を動かす時には、床に接している部分を支点にして、
そこに力を加えれば割と簡単に動く。
更に、その重量物の形を利用すれば、
あとは自重でもって勝手に動いてくれるから、
こちらは舵を取ってやればよいのである。
円筒形の物や、角柱形の物も少し傾けてやることさえ出来れば、
転がせば目的の場所まで動かす事ができる。
ある程度まで動かすことが出来れば、
専用の運搬具でもって運べばよいだけなのだ。

案山子彦は、これこそ『引力(いくぐい)』の活用だと思っていた。

相手が自分よりも明らかに強いのなら、
その相手の力をこちらに引き込んで利用すればよいのである。

案山子彦『考えてみれば、「七四十一大神」を、
     俺が編み出すきっかけになったのも神武寺だったけれど、
     「神武」とは全て
     この「引力(いくぐひ)」の原理で成り立っている。
     こっちはただただ釈迦か達磨の様に、
     大宇宙の真理である無限絶対無始無終の主神と
     一体であることを念じ、
     ただただ大宇宙の大調和の中に
     身命を任せ切ってしまうことなんだ。
     これを真の「大和魂」という。
     これさえきちんと出来ていれば、もし相手が、
     俺を負かし滅ぼすことばかり考えていたとするならば、
     その心は「大和魂」に逆らっているから、相手の全ての力が、
     全て相手に跳ね返って行くことになる。
     俺に金も力も無いなら、
     相手の金と力を、大宇宙の主神様が利用して、
     結局、お仕組みを成就させてしまうことになるのだ。
     俺はただただ「神我一体」を祈念していればいい。
     この「神武」の御技が、俺のただの思い込みなら、
     俺の人生が終わるだけ。
     俺の思い通りなら、主神の御神業がよく進むことになる。
     俺みたいに小さく無力な者でも、
     ここで身命を主神に任せ切ることだけで、
     もし、御神業が一歩でも進むなら、
     これほど光栄なことは他に無いというものだ。
     起きて半畳、寝て一畳、男は度胸だ。』

(続く)
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