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私、垣内政治 は、神助の機会を得、インターネットの掲示板上に、
出口王仁三郎聖師によって書きあげられた『霊界物語』
全八十三冊八十一巻、特別編を除く二〇四七章に及ぶ神書に対して、
王仁の千別(ちわ)きの神霊であると考えられる、
「七四十一大神(ななしとおいつおほかみ)」の数運に恵まれた、
平成二一年二月一〇日 旧一月一六日、
遂に「七四十一大神」による続編を目指す意気込みで、
二〇四八章を書き始めるに立ち至ったのであります。

平成二一年二月一〇日 旧一月一六日を
数霊別(かずだまわけ)の法にて調べますと、

  二、一+二+一、〇、一+一+六 

で、各節毎に合計すると、

  二、四、〇、八、

となります。

これを並べ変えれば、二〇四八の数が出て来るのであります。

「霊界物語」本編 全二〇四七章は、
この数を分解すると、一、一〇、四、七、となりますので、
これを逆転させて並べ替えると、七、四、一〇、一、となり、
即ち「七四十一」となるのであります。

 筆者は、さる事情により、
2009年02月06日(金)23時16分より「霊界物語の掲示板」によって、
この「七四十一大神」の名をハンドル・ネームの一部に使用することを
自ら禁じましたが、同掲示板の管理人が運営する有栖川BBS上で開設した
当『電脳【笑いの座】の掲示板』での使用を許されましたので、
ここに「七四十一大神」の御神名を堂々とHNの一部に加えながら、
『七四十一大神的 「霊界物語」 第一篇 地上天国』の書き込みを
開始することが出来ることになりましたのも、

『平成二一年二月一〇日 旧一月一六日を
数霊別(かずだまわけ)の法にて調べますと、

   二、一+二+一、〇、一+一+六 

で、各節毎に合計すると、

   二、四、〇、八、

となります。

 これを並べ変えれば、二〇四八の数が出て来るのであります。』

という数運の一致から見ても、惟神のお仕組みの上のことであったと、
やや確信するに至るものであります。

 私が「やや確信するに至る」という曖昧なる表現を用いますその理由は、
これがもし聖師様の御本霊による数運であるならば、
誰でもすぐにわかる様に、ストレートに「二〇四八」になる筈なのですが、
私自己流の数霊別の方を用いなければ解読できない様に、
極めて秘教的、暗号的に、個人限定の数運として、
一旦、「二四〇八」という不完全な形で現われているからであります。

 宝くじナンバーズでもストレート当選とボックス当選は
全く当選額に格差があるのと同様に、私にもたらされた数運は、
聖師様の数運に比べれば若干価値が劣るものであります。

このことを見ましても『聖師様の御用は一代限りの御用である』
ということを充分に証明しているものと私は考えます。

 そして私に対しては、私にだけ理解出来る形で、
このメッセージは伝えられて来たと言えるでしょうから、
批判的な方々にとってはただのこじつけにしか見えないであろうことは
容易に予測できるのであります。

この様に不完全なる数運を与えらえたということは、

「これを使えば風当たりも強くなるだろうけれど、
 まあ、垣内、お前とお前の理解者の間でだけ楽しんでおけ。」

と、聖師様から言われている様なものなのですが、
この程度のレベルのことでも私としては充分光栄なことなのであります。

 要するに子供にとっては「仮面ライダー」ならぬ「お面ライダー」でも、
ライダースーツならぬライダー模様のTシャツでも、
ごっこをやって喜んでいられる、という程度のことを、
聖師様への憧れと敬意を込めてやっているというわけなので、
「やや確信するに至る」という表現を用いたのであります。

それもまた、「七四十一大神」の働きが、
聖師様の本霊ならぬ分霊の働きということを示す
一つの証拠の様なものかもしれまぬ。

 このように『霊界物語』の続編の様な体裁を取る
『七四十一大神的 「霊界物語」』の公開は、
あくまでも垣内政治と出口王仁三郎聖師の御神霊の御分霊であり、
また私本人の守護神であると考えられる『七四十一大神』の間で、
個人的にもたらされた時節による神許を得て執り行うものでありまして、
私、垣内政治が所属する宗教団体『愛善苑』や、
この『電脳【笑いの座】の掲示板』のスペースを提供してくださる有栖川BBS、
また『霊界物語の掲示板』の管理人様とは、
ほとんど無関係に行われる神人合一による神行であります。

しかしながら、このスペースを快く御提供下さいました
同人の公平なる心遣いなくしては、
この神事も決して無事安泰には始まらなかったのであります。

 今後、世間一般の評価は、賛否両論、
真っ二つに分かれることになりましょうが、
この神事は八幡書店版『昭和の七福神』に見られる
恵比寿様の衣装に記された十一曜の御神紋に因む、
お仕組みの一環でありまして、大本開教者出口王仁三郎聖師の神霊学、言霊学を、
独学によって垣内政治が解釈した神観の結晶であります。

従って十曜の御神紋に従う皆様からみれば、かなり見苦しく思える内容も、
随所に目立つこともありますでしょうが、
十一曜の御神紋の御用の一環と思えば、
多少は寛大なる御心に落ち着かれるかとも思います。

 俗間、巷の人士、有志の諸氏が『霊界物語』を教学する上に於いて、
爪の垢ほどにでも参考になることあらば、
これは筆者の望外の喜びであります。

 『神はコトバなり』とも申します。
このコトバに対する個人の心のありようで、この神は幾通りにも姿を変じ、
その読者の心を満足させることになるでありましょう。

 全ての場合において、神のコトバを高く受け取るも、低く受け取るも、
悉皆、読者の心次第であると思いますから、
読者諸氏の、精神的修養の為にも、
是非とも本書に目を通されることをお勧めいたします。


          平成二一年二月一二日 旧一月一八日 垣内政治 識
          (平成二一年二月二四日 旧一月三〇日 垣内政治 校正)
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与太公「一体全体、近頃の世界経済はまったくなっとらん。
    富とはいったい何だ。人は万物の長などと言いながら、
    その長の長たる責任と義務は、
    まったく行われていない様に見えるではないか?
    低所得層の人間をさんざん低賃金労働でこき使った挙句、
    無抵抗で柔和な人々が続々と解雇され職を失って行く。
    それをただ高見から見下ろしているだけの富裕者層というものは、
    果たして人の情けというものを失ってしまったのか?」

 突然口火を切ったのは夜の「のんべえモール」のベンチに腰を降ろした与太公だ。
その身なりから見ると、一見浮浪者風だが、時折見せる眼光の鋭さから察するに、
熱血溢れる青年時代には何か志を持って大きな力と闘っていたような
名残りを漂わせている。年の頃なら五十台半ばといったところか。

胤 公「ほうほう、また始まったな。与太公様の大噴火だ。
    そろそろ酒の量が足らなくなって来たと見える。
    近くのコンビニで追加でも買って来てやろうかい?」

 与太公の突然の怒号に突っ込みを入れて来たこの男は胤公である。
時々木枯らしが吹きぬける如月の夜の「のんべえモール」では、
与太公同様名物になっている同じく浮浪者風の男だが、年格好は六十前後。
既に年金生活でもして暮らしているのだろうか。
酒の追加を自ら言い出すところをみると、
左程には生活に困っているわけでも無さそうである。

与太公 「そりゃそうだ。
     こんな身も心も冷え込む夜にはどんどんと酒のガソリンを給油して、
     中から熱くなるに限る。
     しかし今俺は、そんな酒の力に頼らなくても、
     中から熱くなる公憤の炎に炊き連れられ、
     身も心もかっかと燃え上がっているのだ。」
 
胤 公 「なんだい?そりゃお生憎だな?せっかく酒のガソリンを追加して、
     朝まで存分に叫ばしてやろうと思ってたのに。
     それならしばらくノンガスで話の続きでも聞いてやろうかい。」

与太公 「おっとっと…、遠慮にゃあ及ばねえよ。
     出した盃を引っ込める様な真似は御免こうむりますぜ。
     どうぞ余計な気は遣わずに、
     コンビニ特急で酒のガソリンを仕込んで来てくれい。」

胤 公 「なんだい、言うとやるとは大違いだな。
     それじゃあ渋々渋滞のコンビニ特急を発車させるか。」

…と、そこへ、街燈を七本ほど離れたモールの奥から、夜の闇をついて、
エレキ・ギターの音に合わせて、大声で歌う男の声が聞こえて来た。

    「朝日は照るとも曇るとも~ 月は~満つともかくるとも~」

胤 公 「ほお、また例のヤッコサンかい。
     これからコンビニ特急で酒のガソリンでもと思ってたら、
     アサヒのビールを奢れとか、
     次はミットにかけるぞ、なんぞとぬかしやがって、
     野球の優勝祝いでもあるまいに、
     この寒いのにビールかけでもやろうとでもぬかすのか?」

与太公 「よう、そりゃまた、
     このくさくさした気分には、いい憂さ晴らしになりそうだ。
     ひとつそのビールでも買って来て、
     変な歌うたいやがるやっこさんに、
     たっぷりお見舞いしてやろうかい。」

 二人がコンビニまで缶ビールを買い込みに行っている間も、
夜の「のんべえモール」には先程の男の声がエレキ・ギターの伴奏に合わせて
鳴り響いている。

   【http://www.youtube.com/v/bFGpb7VOYhE&hl=ja&fs=1】(参照)



     朝日は照るとも曇るとも
     月は盈(み)つとも虧(か)くるとも
     たとへ大地(たいち)は沈むとも
     曲津(まがつ)の神は荒(すさ)ぶとも
     誠の力は世を救ふ

     三千世界の梅の花
     一度に開く神の教(のり)
     開いて散りて実(み)を結ぶ
     月日(つきひ)と地(つち)の恩を知れ
     この世を救ふ生神(いきがみ)は
     高天原(たかあまはら)に神集(かむつど)ふ

     神が表に現はれて
     善と悪とを立別ける
     この世を造りし神直日(かむなほひ)
     心も広き大直日(おほなほひ)
     ただ何事も人の世は
     直日(なほひ)に見直(みなほ)せ聞直(ききなほ)せ
     身の過(あやまち)は宣(の)り直(なほ)せ

     ああ カムナガラ カムナガラ
     みたまさきはへましませよ
     かむすさのをのおほみかみ
     みたまのさちをたまひませ
     ああ カムナガラ カムナガラ
     みたまさきはへましませよ
     ああ カムナガラ カムナガラ
     みたまはきはへましませよ

 レジ袋一杯に缶ビールを買い込んで来た与太公と胤公だったが、
いざ大声で唄っている男の前まで来てみると、
何やら近寄り難い気迫に押されて、
男の前を右へ左へとウロチョロとするばかりで、
声一つかけるのにも気合負けしている。

 この男は、ここのところ毎日の様に夜中になると
「のんべえモール」にやって来て、夜が明ける頃まで歌っているので、
いつの間にやら夜の「のんべえモール」の遊び人の間では、
案山子彦(かかしひこ)という呼び名がつけられていた。

まんじりともせずに唄い続ける案山子彦の気迫に押されながらも、
若干腰を引き気味に缶ビールを片手に近寄って、
足もとにそれを置いてまた三メートルほど離れて、
与太公と胤公は案山子彦の前に立ちはだかった。

胤 公 「お、おい、あんた最近ここでよくみかけるが、なかなかいい声だな。
     しかし缶の酒を大飲みしたいとかなんとか唄っていたが、
     この寒いのによく頑張る奴だ。
     まあ、たまにはのんびりと缶ビールの一本でも飲んだらどうだい?」

与太公 「この不景気にたくさんの弱者が職を失って苦しんでいるという時に、
     この寒い中、そんな格好で唄い続けるというのも、なんだな…
     考えようによっちゃしあわせなもんだな。やりたいことが出来て…」

 そう言われて案山子彦はようやく息を休め、指を休めて、
差し出された缶ビールを手に持ち、
一度天に掲げてから「どうもありがとう」と言葉少なに礼を言うと、
栓を開けてグビグビと泡が吹き出すより早く缶ビールを一口飲み込んだ。

与太公 「おお、なかなかにいい飲みっぷりだ。気に入ったぞ。
     しかしなんだ、あんたの歌もなかなかのものだが、
     こんなことばかりしていて生活は成り立つのか。
     何処かの事務所に入るなり、
     何か仕事でも見つけて働くなりした方がよくはないのか。」

 案山子彦は何を言われても、ただニコニコとしているだけで、
あまり多くを語ろうとはしない。
唄っていた時の気迫はまるで何処かへ消えてしまったかの様に、
穏やかな微笑を浮かべたまま、与太公、胤公の話に耳を傾けていた。

胤 公 「この場所も、ほんの五年前まではデビューした奴等がいたおかげで、
     たくさんの歌い手さん達が集まって来たもんだが、
     今じゃすっかり廃れちまって、ここにあったデパートも倒産して、
     テナントの中には自殺者まで出るほどの騒ぎになったってえのに、
     なんだってあんたは、今でもこんな所で歌ってるんだい?」

 胤公にこう尋ねられて、先ほどまでただ微笑むだけで
特に語ろうとしなかった案山子彦がようやく口を切った。

案山子彦「この日の出島の浦島港も開国の折には世界の玄関として
     おおいに賑わったものだが、常世の国の前の大棟梁が交替する頃になって、
     世界は途端に金融危機に襲われて、百年以上もの歴史を持つこの百貨店も、
     遂に閉店に追いやられるという事態になった。
     この街も、世界の玄関などとは言われつつも、要するに元々は、
     常世の国の鉄舟の寄留地として栄えたのに過ぎぬ。
     その因縁のあるこの町の老舗百貨店が閉店するということは、
     いよいよ世界に覇を効かせて来た常世の国も
     断末魔の叫びをあげる時が近づいた様なものだ。
     その常世の国の恩恵で栄えて来たこの街が、ここまで淋しくなって来たのも、
     何もこの日の出島にとって絶望的な話だけではないのだ。
     この浦島港は、アケハルの代が始まって以来、
     何事も日の出島初の文明開化を行って来たのである。
     その浦島港で開化以来の老舗が倒産したということは、
     いよいよ常世の国の力も弱まって、
     日の出島本来のやり方を発動する曙光を照らし始めた様なものである。」

 寡黙な男だと思っていた案山子彦が、一端口火を切ると、
いつ止むとも知れぬふるなの弁舌を回転させ始めたので、
元来熱い血潮を秘め隠していた与太公も、負けじとばかりに口を切った。

与太公 「ほう、これはこれは…、
     男の癖に軟弱にも歌なんぞ唄いやがってとバカにしていたが、
     嫁はもらってみろ、馬には乗ってみろだ、貴様もなかなかの男だなぁ…
     この寒い中、そんな熱い話を聞かされちまっちゃあ、
     この与太公様も黙っちゃいられねえ。
     大体、この日の出島は、世界の親とも云われた神州(かみしま)である。
     それが先の大戦でピカドンの一撃をくらって
     アケカズ一大白王陛下(ひとひろはくわうへいか)の御英断により、
     日の出島人民の種を後の世に残す為に、堪え難きを堪え、
     忍び難きを忍んで無条件降伏なされたのだ。
     あのピカドンさえ無けりゃ、例え国民総玉砕しようとも、
     あんな常世の赤鬼や野天狗共には、
     この日の出島の底力をとことん示してみせて、
     アケカズ一大白王(ひとひろはくわう)様の御威光を、
     世界中に有難くも畏くも照り輝かせるのは時間の問題だったのだ。
     それをピカドンのおかげで盤古やオロチヤにまで侮られることになって、
     悔し残念を堪え忍んで来たのだ。
     それを思えば、例えここで不景気台風に襲われて、いくらかの犠牲を被ろうとも、
     肉を切らせて骨を断つ。
     九分九厘でグレンという大逆転的クロスカウンターをお見舞いするはいざこの時。
     そうとわかればこの与太公も、
     この老骨に鞭打って男の死花を咲かせることになっても悔いはない。
     積年の恨みに対して一矢報いむ喜びで、地に足がつかぬ思いだワイ。」

やや老いて、くたびれ果てた肉体の中に湧きあがった勇猛心が
与太公の瞳を少年の様に熱く輝かせている。
しかしその様子に共感しながらも、
落ち着き払った冷静な顔で案山子彦が後に続けて語り出す。

案山子彦「いや待て待て、
     時節の力で常世の国が断末魔の叫びを上げる時は近づいているとはいえ、
     軍備においてはまだまだ世界一の実力を失ったわけではない。
     更に我が愛する日の出島の情勢も、大自在天神と盤古大神の毒気にやられて、
     日の出島の民としての本来の力を奪われているのが実情だ。
     勢い余って常世の国を相手に戦を挑んだところで、
     忽ちのうちに捩じ伏せられてしまうのは考えるまでもないことである。
     そんなことになっては、
     せっかくのアケカズ一大白王(ひとひろはくわう)様の命懸けの計画も、
     全て水の泡になってしまう。
     勇みたいのは私も同じことだが、時節の力にはかなうものではない。
     だがしかし、それはひとりわが日の出島だけがそうなのではない。
     世界の大国常世の国だって事情はまったく同じなのだ。
    
       啼かぬなら 啼くまで待とう 時鳥

     ここは荒魂の勇を発揮して、何処までも忍耐して、天下の態勢我関せず式に、
     こうやって無為的に飲んで歌って騒いでいる方が、
     結局は天地の御心に適うのである。」

胤 公 「なるほど…、リストラされたのも、派遣切りが起きたのも天の恵み、
     要するにお天道様免許のストライキの発動ってわけだな。
     日の出島の人民は、元来が勤勉で実直で黙々と働く天国の民だから、
     天下泰平でありあさえすれば、上が大自在天だろうと盤古だろうと、
     オロチヤだろうと乾(いぬい)の金神(こんじん)だろうと、
     ヤンキー・モンキー言わずにおとなしくしていられる品のいい国民性だが、
     天地の神様からすれば、
     日の出島の一大白王(ひとひろはくわう)様がその御威光を奪われ、
     世界の艮(うしとら)に閉じ込められておる様なことでは情けない。
     世界の中心として崇め奉られる様にしなければ勘弁ならぬ、というわけで、
     戦わずして勝つ式に、徳の足らぬつよいものがちのやり方で、
     とことんまでやらして、
     遂に自らの策に落ちて足元をすくわれて自ら瓦解するに任せようという魂胆だな。
     お前さんがさっき唄ってたのは、
     あの口喧しい三五教(あななひきょう)の宣伝歌かと思って、
     なんだか耳が痛くなる様な心持だったが、
     闇の後には月が出る式の考え方も残ってるなら、
     わしらにも何となくわかるってものだ。」

そういって、手に持った缶ビールをまたグビグビと煽り出す。

案山子彦「飲んだくれて闇の後の月を待つだけでは駄目だよ。
     酒は飲んでも飲まれるな。
     どんな酒でもいちいち天に捧げて御神気さえ入れて頂けば、
     結構な御神酒(おみき)になるものだ。
     こうして月見の御神酒で活力を頂いて、月の後の朝日を待ちつつ陽気に唄い、
     共に語り合うことを過ぎ越し祭りといって、
     天地の神様のお叱りから見逃して頂くための、
     モーゼの頃から西アジアでも真似される様になった結構なならわしだ。」

胤 公 「なんだい、ただ酒を飲むんじゃなくて、
     これも神行だといわんばかりの高貴な野郎だ。」

与太公 「いや、しかし、こいつの言うことはなかなか愉快だ。
     おい、お前はまた明日もここに来るのか?」

案山子彦「何処へ行くといって、この御時世だ。
     他に満足の行く仕事が転がっているわけでもなし。
     男が一旦やると決めたからには命懸けだよ。
     こうやって毎夜、月夜で御神酒を頂きつつ、
     歌い語り合いながら天国を味わいつつ御昇天出来るのならば、
     これもまた一興だ。
     偉そうなことをいっても俺達みたいな町の履きだめ人足の世迷言。
     余程に酔狂な人士でなければ、そうそう耳を傾けられることもあるまいが、
     わが日の出島は言霊の天照(あまて)る国、言霊の幸倍(さちは)ふ国だ。
     我々の小さなこの声が、
     やがて世界中に轟くことにならぬとも限らないではないか。
     それでこそ天下のメッセンジャーの命懸けの本懐というやつだ。」

与太公 「おう、益々気に入った。この世知辛い世の中だ。
     まあ、今夜ぐらいはじゃんじゃん飲め。」

胤 公 「おいこら、与太公、出資元はこの胤公様だぜ。
     貴様が飲めというのは筋違いだ、有難く頂けと宣り直さぬかい?」

案山子彦「なるほど、言い得て妙だな?やはり腐っても鯛、
     老いても老兵には日の出魂が息づいてるというわけか?
     今夜はこの案山子彦もよい勉強になりました。
     では、せっかくですので、もう一本、有難く御相伴に預かり頂戴いたしまする。」

と言って、案山子彦はまた左手に持った缶ビールを天の月に向かって掲げると、
「頂きます」といって威勢よく栓を開けてグビグビ一口頂いて唄い始めた。

     人様は 誰も神の子 神の宮
     世は不景気におののきつ
     布団かじって寝涙の
     悔し残念噛みしめる
     今その時も天地(あめつち)の
     御祖(みおや)の神の奥心
     探りて過ごせば再生の
     力を得るは目の当たり
     我等は神の子 神の宮
     酒は飲んでも飲まれるな
     天地の恵み頂けよ
     御神酒(おみき)頂かぬ神は無い
     赤提灯(あかちょうちん)の朗らかさ
     夜通し月見に花咲かせ
     歌い語れば取り越しの
     苦労も要らぬ過ぎ越の
     苦労も何処かへ飛んで行く
     裸で生まれて無一物
     なりて往くのが人の道
     この世で少々膨れても
     その財産がいつの日か
     重荷になりて自由なる
     身魂もついにとらわれて
     奴隷を使う奴隷へと
     なりていつしか暴君の
     悲境に落ち込み自暴自棄
     気ままな者等をほふらんと
     いう鬼心湧き出でて
     油の王(きみ)の悪戯に
     泣かされ嬲(なぶ)られ魂(たま)抜かれ
     益々(ますます)奴隷に成り下がる
     哀れな民のその中に
     言霊強き逞(たくま)しき
     のんべえモールののんべえが
     月を拝して日の出島
     その将来を浦島の
     港街から祝福し
     唄い語るも勇ましき
     金の恵みで膨れたる
     善悪知る木の果物も
     遂に熟して地に落ちる
     むしって取るな霊主体従(ひのもと)の
     民(たみ)は生命(いのち)の木の実から
     無限絶対無始無終
     永久(とこしえ)続く神の道
     頂き進むが惟神(かむながら)
     うれしうれしの天職ぞ
     ああかむながらカムナガラ
     御霊幸倍(みたまさちはひ)ましませよ
     神素盞嗚大御神(かむすさのをおほみかみ)
     瑞(みづ)の御霊(みたま)の大御神
     やがて都会の真中(まなか)にも
     枯れ木に花の咲きしごと
     煎り豆に花の咲きしごと
     誠の花ぞ咲ほこる
     ああかむながらカムナガラ
     御霊幸倍(みたまさちはひ)ましませよ
     嗚呼惟神(ああかむながら)カムナガラ
     御霊幸倍(みたまさちはひ)ましませよ

      平成二一年二月一〇日 ~ 一一日 旧一月一六日 ~ 一七日 垣内政治 識
 世は泰平の日本晴れ。
お天道様の当たる所は全て日の下(もと)であるという
実に有難い真理を知ってか知らずか、
今日も日の出島の浦島港に慎ましく聳え立つ伊勢丹山(いせたんざん)の八合目辺りに、
ひっそりとした居を構える案山子彦は、
夜通し唄った喉をゆっくりと休める様にすやすやと朝寝に耽る。

十九世紀に発明された電燈も二十世紀の半ばには、
既に地上から夜の闇を奪う勢いで発達し、
二十世紀後半には、この日の出島には夜は無いというのが常識となり、
夜働いて昼に寝る者も多くなって来た。

 二十一世紀も始まったばかりの世界では、
常世の国と会蟹国(あうかにこく)のタラ軍団との戦いが起こり、
その戦いは幾(いく)の国へと飛び火して、
遂には違勢小国(いせしょうこく)と加賀笹(かがささ)もこれに参戦し、
隣国に控える要瑠(いる)の国がこれに加われば、いよいよ大参事世界大戦の勃発か、
という緊張の絶えない情勢であったが、ここ伊勢丹山の人々は、為すすべもないのか、
そんなことにはまったく関心が無いのか、ただ勤勉に日々の仕事に勤しんでいた。

 朝まで飲んで唄って騒いで睡眠中の案山子彦も、
そろそろと起き出して日課の「蜘蛛の巣遊び」に励み出す。

蜘蛛の巣遊びというのは、
二十世紀の終わり頃から普及し始めた電信網を利用したもので、
電話線を通じて、家内にいながら世界中と情報交換が出来るという便利な遊びである。

各家庭には仮想の家頁なるものが建てられて、ここに自分の情報を公開して、
電信を通じて他家の家頁にお邪魔して、そこに用意された掲示板や茶集戸を介して、
その家頁の住人と情報を交換し合うのである。

この「蜘蛛の巣遊び」に興じる人々は「土蜘蛛族」と呼ばれている。

真夜中になると路上シンガーになる案山子彦だったが、
日中はこの土蜘蛛族の一人として、
行きつけの掲示板などの書き込みを読んでは返信して、
和気藹藹とやって楽しんでいたが、
時には何時終わるともしれない激しい論戦になることもあるのであった。

こんな論戦になる時には、案山子彦は、

    「まるでこの蜘蛛の巣遊びというやつは、
     『霊界物語』によく出て来る岩窟での問答や、
     狸穴(まみあな)で化かされている様な気分によくさせられて、
     面白かったり不愉快だったりすることしばしだが、
     無記名で見知らぬ人々がやりとりするあたりなんかは、
     さながら『霊界物語』に記された『笑いの座』の様だ。」

と一人つぶやくことがよくあった。

 特に大正(ひろまさ)十年に日の出島に現れた
神典『霊界物語』に対する家頁や掲示板には、自称「霊界物語」博士の様な人々が、
日の出島中から集まって来て、互いに激しく意見を戦わせるので、
俗世の仕事も忘れて「蜘蛛の巣遊び」に熱中する土蜘蛛族の隆盛ぶりを肌で感じるには、
もって来いの疑似空間であった。

 この「蜘蛛の巣遊び」には、匿名制や変名が使われることが多かったが、
時には実名をもって堂々と情報交換が行われることもあった。

しかしこの「蜘蛛の巣遊び」には意外なほどの影響力があるらしく、
時には各家頁や舞露愚、掲示板に公開された書き込みによって、
世の中が動くこともあるほど、この「蜘蛛の巣遊び」には力があった。

「コトバは神なりき」とは新約聖書のヨハネ伝によって有名な聖句であるが、
まさに「蜘蛛の巣遊び」には、創造力と実現力があるほどの力があった。

案山子彦は、この「蜘蛛の巣遊び」で、家頁や舞露愚や掲示板をあちこちに設けて、
ここに書き込みをして楽しんでいたが、
特に日記に書き込んだ天気が、後日の天候に影響するのを体験して、
「蜘蛛の巣遊び」で記された文字が、
龍神達にも届いているのではないかと考える様になっていた。

案山子彦「『霊界物語』の拝読を始めた時にも、いろいろと奇跡は起きたものだが、
     真理の体得とかそういうこととは別に、どうも、この『霊界物語』について、
     あれこれとやってみると、いろいろな形で神霊界が反応する様な気がするのだ。
     これは誰がやってもそうなのだろうか?各自に反応の仕方は違うかもしれないが、
     『霊界物語』に関わって超常現象体験をした友の会の様なものを作って、
     いろいろと体験談を話すことが出来る様になれたら面白いのにな…。
     そんなコミュニテイーで『蜘蛛の巣遊び』をやっている仲間は無いのだろうか?
     兎角、宗教団体として活動してしまうと、この辺の問題を取扱い難くなるのが、
     どうも昔から気に入らないのだ。
     宗教というやつは、気を鎮め安心立命を得るにはもってこいかもしれないが、
     クリエイティブで芸術的な活動をしようと思うと、どうも足かせになって、
     表現の自由を奪われる様な気がしてしょうがない。
     そこへ行くとミロク三会の神様が直々にお出しになったという『霊界物語』には、
     俗な言葉もあちこちに出て来て、
     ちょっと漫画の様な表現もあって、実に読み易い。
     神聖なる神の道ではあるけれども、凡俗なる一小市民にもよくわかる様な、
     活き活きとした教訓に満ちているところが大の魅力なんだが、
     どうも人様が学術的にやっている家頁で扱われると、妙に敷居が高くなって、
     簡単なことを難しくしがちなのが気になってしょうがない。
     この問題に警鐘を鳴らすというわけではないけれども、
     一つここはオイラの音楽活動の様にのびのびとした芸術的表現でもって、
     この『霊界物語』について持論を展開してみたくなって来たな。」

 「霊界物語」というものは、拝読といって声を出して読むと頭脳ではなくて、
霊がこれを聞いて育つのであるが、一人、自室でゆっくり読む方法と、
輪読といって複数が集まって順番に交替で音読する方法がある。
また、神劇という表現方法もあるのだが、これには舞台も衣裳も役者も必要なので、
かなり大がかりなものになる。

 しかし、これらの方法にとって、一つ重要なことがあるのだが、それは、
『御神前でやるべき』ということである。

その理由は、御神前でやらないと、二度目がなかなか実現しないという風に、
一般の信徒達の間では言われていることだ。

 案山子彦も以前、『オニサブラー』と呼ばれる仲間同士で集まって行われた、
『霊界物語朗読ライブ』というものに参加したことがあったが、やはり神事として、
御神前で行われなかったことが原因してか、二度目の朗読ライブは、
なかなか実現されないまま空転状態になっている現実がある。

 だが、拝読にしてもそうだが、個人が単独でやる場合は、本人の意思さえ固ければ、
そこが御神前であろうとなかろうと、何度でも実行できるという事実は、
毎夜、夜の「のんべえモール」で大声出して
「三五教基本宣伝歌」を歌っている案山子彦にとっては、
実体験としてよく知っていることなのであった。

案山子彦「御神前、御神前と言って、すぐに腰が引けてしまう連中が多いけれど、
     人は神の子・神の宮、路上を通過する一般の人々だって、
     皆、神様だと思えば、それは立派な御神前だと思うんだがなあ…
     朗読ライブにしたって、そこに集まる朗読仲間だって、互いに神様なわけだし、
     朗読ライブを見に来てらっしゃるお客様達だって皆、神様なのだ。
     そういう心になって、皆が皆を尊敬して拝し合う様にならなかったら、
     とてもこの世に地上天国だとか、
     ミロクの世なんてものは実現しないと思うのだけれどねえ…」

 案山子彦の心の中では、いつしかこんな思いが渦巻く様になっていたのである。

     神の子の セムの一族 土蜘蛛と
     交わり鼻も低くして
     日の出の島の西東
     北や南の同朋(はらから)と
     コトバの神を世に放ち
     互いに熱く語り合い
     時には笑いの花咲かせ
     一部の仲間が論じ合う
     それを気楽な通行人
     眺めてまたまた感動し
     いろいろ感ずることありて
     各自の社会で応用し
     世の正常化と発展に
     役立てようと働いて
     地上天国建設の
     一助となるのも誉なり
     げにありがたき次第なり
     その一方で巷には
     一から十まで逆に取り
     世界平和を混乱し
     いちいちかきまぜぶち壊し
     悪魔の如き暴虐を
     行う愚かな者も出る
     まったくこの世は人次第
     身魂次第で天国も
     地獄も出現するものか
     神にも善悪あるものか
     人は神の子・神の宮
     祟るも人の恨みなら
     救いになるのも人情だ
     ああかむながらカムナガラ
     御霊幸倍(みたまさちはひ)ましませよ
     神素盞嗚大御神(かむすさのをおほみかみ)
     瑞(みづ)の御霊(みたま)の大御神
     ああかむながらカムナガラ
     御霊幸倍(みたまさちはひ)ましませよ
     御霊幸倍(みたまさちはひ)ましませよ

                平成二一年二月一二日 旧一月一八日 垣内政治 識
 さて舞台は、案山子彦が「のんべえモール」で毎夜歌い始める一年ほど前に遡る。
 
 東西に長く伸びる日の出島は、全地に張り巡らされた高速道路によって結ばれ、
多くの自動車が常に北へ南へ、西へ東へと駆け巡り、
各地の情報や物資が盛んに交換され、全地は常に豊かに潤わされるべく、
忙しく活動していたのであった。

 常世の国による幾の国への攻撃も追々静かになり、
そろそろ世論は常世軍による幾の国遠征に対して、
批判の矢を射始める様になっていたが、瑞霊真如御昇天後の日の出島は、
アケカズ一大白王(ひとひろはくわう)陛下が
常世の国との戦において無条件降伏の御英断を下ししより、
大自在天神と盤古大神の支配下に下り、軍備を廃し、自衛隊を構え、
自由民主主義の体裁を保ちつつ、常世の国の傘下にあり、憂国の志士等は、

「今の日の出島は常世の国の日の出島州である。」

と言っては、大いに憂い、世に叫びつつあった。

が、しかし、その一方で、男尊女卑の旧思想から解放された女流志士達の活躍は著しく、
三五教の対抗勢力たるウラナイ教が盛んに説き広めた、

「日の出島は女でなければ開けぬ国」

という日の出神示にある如く、時には男子諸君を辟易とさせる勢いで、
戦後の奇跡的経済復興の花となり、益々、軟弱化した日の出島の民にとっては、
彼ら憂国の志士による雄叫びは笊耳の如くに右から左へと通過して、
日の出島の政治が、盤古と自在天のあいのこであろうと、
常世の国の日の出島州と軽侮されようとも、
「馬の耳に念仏」よろしく、痛くも痒くもないという逞しさで、
経済制裁的に演出された大不況からも、
漸く景気回復し始めた勢いに、
再び天来の世界の王国としてのプライドを取り戻そうとしていた。

 早駒彦(はやこまひこ)は電信電話局の仕事で、
住み慣れた伊勢丹山の町から自動車を高速道路を飛ばして、
日の出島の西国、阿耶(あや)の里に向かっていた。

制限時速80kmの高速道路を芙蓉山の絶景を眺めつつ走り抜け、
そろそろ嗚和利山(おわりやま)に差し掛かった頃、
早駒彦はハンドルを握りながら、古(いにしえ)の戦国時代に心を旅立たせ始め、
助手席に座っている秀光彦(ひでみつひこ)に向かって語りかけた。

早駒彦 「世に天下統一という言葉があるけれど、男子たるもの、
     一度はこの天下統一ということを考えたことがあるに違いない。
     どうだい、秀光彦。」

秀光彦は、早朝の出立で少々眠気を催していたが、
藪から棒に、こんなことを問いかけられたので、寝ぼけ眼をこすりつつ、

秀光彦 「なんだよ、いきなり。
     また、歴史好きの早駒彦様の時間旅行の始まりかい。」

とぼやきながら、煙草を一本取り出して、
ライターで火をつけると目覚めの一服を無造作に噴き出した。

早駒彦 「この日の出島に興った素本(すのもと)神観では、
     日の出島は世界の型だと言われているのだが、
     その不思議なる神秘の日の出島を例に考えた場合、
     かつて天下統一というのが為されたのは、
     関河原(せきがわら)の合戦が行われた後の松川幕府が、
     最初のことなのではないかと思う。」

秀光彦 「ほうほう、それで…」

早駒彦 「しかし、よく天下ということは言うけれど、
     天上というのはあまり言わないと思わないか。」

秀光彦 「いやいや、お釈迦様が生まれた時に『天上天下唯我独尊』とか言いながら、
     両手で天地を指差したという話はあるぞ。」

早駒彦 「やあ、なかなかの博識だな。よくそんな高尚な話を知っている。」

秀光彦 「馬鹿にしてくれるな。こう見えても俺だって随分と物の本はかじったんだ。」

早駒彦 「そうか、それなら話が早いな。
     その天上天下って言葉があるにも関わらずだ、
     我が日の出島には天下統一という言葉はあっても、
     天上統一という言葉が無い。それが今、ちょいと気になったんだ。」

秀光彦は煙草の煙をうまそうに吐き出しながら、

秀光彦 「天上統一って…、それは宇宙でも統一するってこと?
     早駒ちゃん、熱でもあんじゃない?」

と言って苦笑しながら、反り返りながら早駒彦の顔を見下ろす様に眺める。

早駒彦 「いやいや、そんなSFチックなことじゃないんだ。
     きわめて現実的な話だよ。
     例えば、戦国時代の三大武将の
     信貴(のぶたか)、日出長(ひでなが)、国康(くにやす)は、
     皆、故郷の地から西へ向かって戦を仕掛けて、
     それを天下統一と呼んでいたじゃないか?
     東国に対して戦をしかけるという話は、あまり聞いたことがない。
     せいぜい北西の裏海(りかい)側にある越の国辺りへ進軍した程度だが、
     常に朝廷に向って都上りする様に戦を仕掛け、
     これを天下統一と称していたろ?」

秀光彦 「そういや、そうだな…。それは気付かなかったよ…。…ということは…。」

早駒彦 「そうさ、俺が思うに天上ってのは、
     松川国康将軍が居城することになった大江山城から東北の地。
     これを天上っていうんじゃないのかな?…と、そう閃いたわけだよ。」

秀光彦は「ほお…」と思わず感嘆しながら、早駒彦のことを改めて覗き込んだ。

早駒彦 「当時既に、東北は、朝都(ちょうと)から追い落とされた有力者達が
     落ち延びて集落を作っていて、
     元凡(がんぼん)合戦後に斧倉(おのくら)に幕府を開いた兄、
     元頼彦(もとよりひこ)に追われた
     弟、元義彦(もとよしひこ)の一行が逃げ延びた奥の都や
     夷(えびす)を渡り、万里(まで)に至り、
     厳(げん)の国を興して、その孫が海を渡って
     この日の出島との友好を求めてきたが、
     当時の斧倉幕府の北宗彦(きたむねひこ)がこれを拒んで戦になり、
     神風がこれを追い払ったという歴史があるほど、
     不思議な天裕が働くのが天上世界なんだ。」

秀光彦 「なんだよ、突然、話が飛躍し過ぎやしないか?」

早駒彦の話がいきなり厳の襲来の時の神風に及んだので、
流石の秀光彦も面喰った様子である。

早駒彦 「ああ、そうだ、悪かった。説明が足らなかったな。
     つまり日の出島は世界の型であるわけだから、
     厳の国から見れば、我が日の出島は東北に当たるから、
     天上様になるわけだよ。厳(げん)の国も、
     三大武将同様、西国との戦には強かったが、
     我が神州日の出島だけは攻め取ることが出来なったわけだ。」

秀光彦 「なるほどねえ…、なんだかわかったような、わからないような、
     どうでもいいような話だなあ…
     早駒ちゃんも、それくらい熱心にうちの仕事に打ち込んでくれると
     いいんだがなあ…
     まあ、言ってもしょうがないか、それで、その続きは…?」

と、呆れながらも、この話の顛末が気になるらしい秀光彦が早駒彦にさらに尋ねた。

早駒彦 「ところがそんな神州日の出島なんだが、
     更に東に当たる常世の国との戦には大負けすることになったろ?
     つまり我が神州日の出島にとっては常世の国は天上に位するってわけなんだ。
     日の出島の夷が、この常世の国の型になっているわけなんだが、
     悔し残念な話だけれども、
     妙に納得できる話だなあ…と、今、あらためて感心してるところなんだ。」

秀光彦 「おいおい、早駒ちゃん、
     そんな話はこれから出かける阿耶の里の皆さんにはしてくれるなよ。
     あちら様は、皆、熱狂的な日の出島の愛国者ばかりなんだからなあ…。
     そんな話をされたら、こっちの首がいくつあっても足らないことになるぜ。」

早駒彦 「まったくだな。そんなことになったら、俺達は途端におまんまの食い上げだ。
     この話は、この車内でのしゃぁない話だと思って、
     今後一切忘れてくれたまえ、秀光君。」

秀光彦 「勿論だよ。」

そうこう言っているうちに、早駒彦等を乗せたクルマは、
そろそろ大見峠を越えようとしていたのだった。

    日の出島 天下分け目の 独り言
    美濃か尾張のその中に
    誠の女子が知れたなら
    もう大本も駄目だろと
    などと慢心してござる
    お方が聞いたら目くじらを
    立てそうなしゃあない早駒の
    口の車をついて出る
    ありそでなさそでありそうな
    奇々怪々の物語
    信長秀吉家康や
    源平合戦義経の
    チンギスハン説飛び出して
    元寇襲来神風や
    太平洋戦敗北の
    御因縁らし秘め事を
    他に誰聞く者も無い
    狭い車内で展開し
    高速道路の疾風に
    かき消されつつ忘れられ
    捨て去られたる物語
    アカシヤ年代レコードの
    記憶の底より呼び起こし
    雇用不況の国々の
    誰に語るか伝えるか
    それは神のみ知るばかり
    我はただただカタカタと
    キーボードなど打ち鳴らし
    世界の誠の安泰を
    念じつ祈りつ書き打ちし
    ヤマタノオロチを言向けて
    天上天下のマツリゴト
    無事に行うそのために
    七四十一大神(ななしとおいつおほかみ)の
    役目に徹して世に放つ
    世界の幸を主宰する
    神主幸之王大御神(かむすさのわうのおほみかみ)
    三千世界の救世主
    神素盞嗚大御神(かむすさのをおほみかみ)
    瑞(みづ)の御霊(みたま)の大御神
    ああかむながらカムナガラ
    御霊幸倍(みたまさちはひ)ましませよ
    御霊幸倍(みたまさちはひ)ましませよ

            平成二一年二月一四日 旧一月二十日 垣内政治 識
 世に竜宮城という神話がある。浦島太郎のお伽噺が有名な話だが、
日の出島にはこれをれっきとした神話としてとらえている人々がたくさんいる。

海は地上の生物の物質的故郷である。いわば海は生物の母である。
海のことを「あま」と発音するのも、
こうした真理の現れであるといってもよいだろう。

しかし海中で生活をしているのは五体を持った人体ではない。

足を持っている生き物も数々あるが、
それは海月(くらげ)、蛸、烏賊(いか)、
海老、蟹、蝦蛄(しゃこ)の様な形であって、
決して地上を歩く人間の様な形はしていない。

SFの世界には魚人というのが出て来て、
手足の指に水かきを持ち、鰓(えら)まで持った、
想像上の奇怪な生物が出て来るし、
海ではなく、池などでは河童などの妖怪も、
怪談の中では語られたりもするけれども、
どれも想像の域を出ないものばかりである。

 これら想像上の水中の生物も、実際の水棲生物と共通の部分を持っている。
それは水圧や水流の変化に対応し易い様に、
ほとんどの生物が軟体で、骨があるものでも、
曲線系の運動を得意とするものばかりである、ということだ。

 元は海の生物であったとしても、陸上で生活する様になれば、
次第に骨格逞しくなり、巨体になればなるほど、がっちりとした体形になり、
その分柔軟性が失われてしまうものだが、地に足をつけて歩行するには、
これが一番都合が良いので、地上の生物はその様に出来ているのである。

 そして空中を生活の重要な部分にしている鳥達は
その体格をはるかに上回る羽毛や羽根を持っているが、
やはり陸上の生物に属するので、木に止まったり、
地上を歩くための足も持っている。

 人体は、そんな生物の中でも、地上の主宰として活動するのに、
最も適した体系をしているわけだが、
これは「大の字」をもって象徴される姿をしている。

しかし、この人体も、近年の宇宙開発技術などによって、
人口衛星での無重力空間での生活を長く続けると、
自然に骨が柔らかくなり、筋力も衰えてしまい、
地上に戻った時に、それなりのリハビリをしないと、
地上人としての満足な生活が出来なくなってしまうのだ。

 地上の生活というものは
それだけ生物の体形の安定性が重視されるものなのだが、
無重力の宇宙空間では、骨格も柔軟になるので、
肉体も意志に合わせて変化することが
容易になり得ると考えることが出来るのだ。

 すなわち天上の無重力空間では、
物質も霊体同様に変幻自在になり得る可能性を持っていると考えられるのだ。

この仮説の証明は、今後の宇宙開発技術研究に委ねる以外には無いが、
例えば、公式では無いけれども、発見報告例がある、
空飛ぶ円盤の破片などに見られる、
地球上では考えられない物質の科学融合なども、
そうした無重力空間だからこそ成し得るものの一つなのではないか?
と、仮定することが出来るのである。

 海は、こうした宇宙の諸条件を物質化した世界であるといえよう。

 水は霊の物質化である。

その水の中で生物の原型が生み出され、地上に送り出されるというシステムは、
はたしてどんな偶然が成し得たといえるだろうか?

まさにこれこそ神の偉大なる創造力の縮図といえるのではなかろうか?

 浦島港を一望に見下ろすことが出来る
伊勢丹山(いせたんざん)の滝上峠(たきがみとうげ)で、
音羽姫(おとわひめ)は、ふとこんなことを考えながら、
その麗らかな髪を風になびかせて、
サクランボの様な花の唇を愛らしく噛みあわせ、
浦島港で鏡の様に美しく反射する水面に見入っていた。

 この滝上峠は、かつて瑞霊真如が肉体を持って御活動になられた時に、
観東別院があった所である。
音羽姫は、先の大戦前にバラモン軍の攻撃によって破壊された
この別院に仕えていた山元彦(やまもとひこ)の孫で、
父は根岸彦(ねぎしひこ)である。

 根岸彦の家には男子が生まれなかったので、
音羽姫は幼少時に男の子同然に育てられたせいか、
文武両道に通じた才女であったが、三つ子の魂百までとはよくいったもので、
男の子同然に育てられたのが仇になったかの様に、
その美貌を持ちながら、年頃を過ぎても嫁ぐことも無く、
また婿を迎え入れることもなく、この様に一人、
思索に耽るのを楽しむのが日課になっていたのである。

              平成二一年二月一五日 旧一月二一日 垣内政治 識
 音羽姫(おとわひめ)は
戦後の日の出島に設立されたウラル教の大学で生物学を学んでいたが、
生家で学んだ三五(あななひ)の教えが引っかかって、
常に二つの教えが思索の中で衝突するのであった。

音羽姫 「根岸彦(おとうさま)は
     ウラル教の生物学などには見向きもしないけれども、
     霊系祖神高皇産霊大神様(たかみむすびのかみさま)のことばかり仰って、
     体系祖神神皇産霊大神様(かむみむすびのかみさま)のことは、
     あまり考えておられないのかしら。
     今の日の出島では三五(あななひ)の教えは虐げられて、
     ウラルの教えを学ばなければ、
     とても上手には世渡りは出来ないというのに…。」

 日の出島は先の大戦では力主体霊のバラモンの教えに、
一大白王(ひとひろはくわう)陛下を、世界唯一の顕現神(あらひとがみ)と仰ぐ、
盤古大神的王道を合わせた様な精神論を過激に信奉して、
初期の戦闘では念力が勝って、常世の国を圧倒したが、
天皇を拝する皇道を取らなかった為、天裕を得られず、
その後、ウラル教的科学力と、物量作戦に巻き返され、遂にピカドンを受けて、
アケカズ一大白王の大英断による無条件降伏によって、
何とか国家の体裁を守る事が出来たのだった。

 これも日の出島そのものが、国祖国常立尊様の御神体であったことと、
三五教の瑞霊真如聖師による、犠牲的御加護の賜物であったが、
戦後、常世の国の支配下に置かれた日の出島では、
有神論を教育の中で扱うことを禁じられ、
ウラル教の無神論一本で国家再建をさせられた為、
庶民が三五教を前面に出して活動することが
非常に困難な体制下に置かれていたのである。

 音羽姫は、滝上峠から歩いて五分ほどの所にある昇龍館(しょうりょうやかた)に、
父母である根岸彦、浦賀姫と共に何不自由のない暮らしをしていたが、
何不自由ない暮らしが逆に婚期を遅らせている様でもあった。

 アケカズの御代からヒラナリの御代へと変わる頃から、
そろそろ日の出島の女権は大いに拡張し、経済的に自立した女性達は、
独身の自由を楽しむ事が多く、晩婚者も少なくはなくなって来たので、
音羽姫の様な女性は、特別珍しくも無かったが、この様な有様なので、
日の出島では少子化が大いに問題にされ、政府の悩みの種の一つにもなっていた。

 勿論、根岸彦にとっても、少子化の手助けをしている事は悩みの種であったが、
家名を守る為に婿を入れるにも、音羽姫の男勝りの気性が障害になって、
なかなかよい相手を見つけられずに苦慮していたのである。

 根岸彦が若かった頃には、家名を守ることは一家の一大事であったが、
アケカズの御代の後期生まれの世代には、核家族が当たり前のことであって、
家名を守るために結婚するなどという古臭い風習は、
馬耳東風の勢いで無視されるのが当たり前で、
このことになると、普段仲のよい一家も、
途端に暗澹たる息苦しいムードに包まれるのであった。

 浦賀姫は、室内で一人思索に耽る音羽姫を見止めて、それとなく切り出した。

浦賀姫 「音羽姫様、よい年頃の姫御が、
     この様なよい日和に日長一日室内に籠り放しでは、
     あまり健康によろしくございませぬよ。
     お母様などは、貴方様の年頃になるまでには、
     お友達同士綺麗に着飾って、
     昨日はあちら、今日はここ、明日はあそこという具合で、
     年中座布団が暖まったためしが無かったものですよ。
     根岸彦(おとうさま)に出会うまでは、
     お友達同士、恋の噂話などに花を咲かせ、
     いつか素敵な花嫁になることを夢見て、はしゃいでいたものですが、
     音羽姫様には、そうした娘らしい麗らかなところがまるでないことが、
     お母様には、どうしても気がかりでなりませぬ。
     いったい貴女様はこの先、どの様になさるおつもりなのですか。」

言葉遣いは上品ではあるけれども、ところどころ棘のある母の小言が始まると、
今の先まで趣味の思索に耽りながら楽しんでいた音羽姫は、
少しく不快の色を面に表わしながら、

音羽姫 「浦賀姫(おかあさま)、
     人の顔を見るなりいきなりそれは失礼ではございませぬか。
     音羽は今、とても大切なことを考えていたのでございますよ。」

浦賀姫 「何がとても大切なことですか…。
     近頃流行りの妄想族とやらに耽っていたのでありましょう。」

音羽姫 「まあ、妄想族だなんてイヤラシイ。
     お母様は何処でその様なお下品な言葉を覚えておいでなさったのですか。
     私は今、この国が抱える政治的な問題について、
     何かいい案は無いかと頭を悩ませていたのでございます。」

浦賀姫 「おやまあ、この子は、
     いくつになっても男勝りに政治のことなどに頭を悩ませて…。
     本当に貴女様は、どうして男子に生まれて来なかったのでしょう。
     今、この昇龍館にとっての一大事は、家名断絶の一大危機でございますわよ。
     音羽姫様が、来る縁談、来る縁談、どうしても首を縦にお振りなさらないので、
     根岸彦(おとうさま)も浦賀姫(おかあさま)も、
     毎日、心が安らかになることがございません。
     国家の大望を語る前に、
     先ずは一家の一大事に心胆を砕くのが姫御と生まれた務めではありませぬか。」

音羽姫 「浦賀姫様(おかあさま)、
     そんなことを申されますけれども、
     今の日の出島の男子は、
     皆、すっかりウラルの科学万能の無神論で育てられた蜥蜴(とかげ)男や、
     バラモン崩れの学の足らぬ汗臭い男ばかりで、
     たまに三五(あななひ)の教えを語る方がいると思えば、
     みすぼらしい暮らしをしている頼りない殿方ばかりで、
     浦賀姫様(おかあさま)の若い頃の様に、
     男子が互いに主義思想を戦わせて命を賭けるという様な
     惚れ惚れとする方は見当たらず、
     皆、鈍(なまく)らな事なかれ主義ばかりで、
     威勢の無い、精気にかける方ばかりなので、
     音羽はどうしても、そんな殿方の妻になって、
     陰になって一家を守って行くという覚悟になりませぬ。
     せめて根岸彦様(おとうさま)の爪の垢くらい飲ませて、
     精神を立て直して頂きたいと思うくらいですわ。」

浦賀姫 「あら、この子は、
     日頃、根岸彦様(おとうさま)に口答えばかりすると思うておりましたら、
     蛙(かわず)の子は蛙とはよく申したもの、
     心の底では根岸彦様(おとうさま)のことを、
     その様にお考えでしたのですね。
     その様に言われれば、浦賀姫(おかあさま)も、
     貴女様のお考えも、わからぬでもありませぬ。
     ああ見えて、根岸彦様(おとうさま)は、なかなかの大丈夫ですからね。
     あれほどの殿方を見つけようと思えば、
     今の日の出島中を探し回っても、何年かかるかわかりませぬわ。」

音羽姫 「まあ、浦賀姫様(おかあさま)、おのろけですこと。」

浦賀姫 「おほほほほ…。」

と、時々、どちらが母なのか、娘なのか、
わからなくなるこの母子の女同士の仲のよい議論は、
この程度のところで穏やかに治まってしまうのがいつものことである。

音羽姫 「今の日の出島の男子は、神とか霊とかいうことを言うと、
     皆、訝(いぶか)しがりますけれども、
     宇宙人とか、スターウォーズとか、ロボットだとか、
     アンドロイドとか、サイボーグだとか、タイムマシンだとか、
     そんな話になると子供みたいに夢中になって話す殿方ばかりで、
     三五(あななひ)の教えともなると、
     まるで受け付けようともなさらないのですよ。
     海の向こうからやって来た爬虫類人(レプティリアン)だとかいう
     外国の論説であれば、多少心霊学的な話でも
     鳩首謀議(きゅうしゅぼうぎ)ということにもなりますけれども、
     天地の誠の御先祖様は、蛇体の龍神のお姿ではありますけれども、
     その実は青水晶の穏やかな流体で、
     鰻(うなぎ)の様に鱗一枚無い滑らかなお姿をしておりましたのですと、
     横から口を挟もうものなら、途端に額に手を当てられて、

      『音羽姫様、貴女お熱でもおありなさるのですか。』

     と、話の腰を折られてしまうのですもの。
     音羽の大学の友達というのは、男子も女子も、
     まったくお話にならないのですの。」

浦賀姫 「そうですの。それはまったく困ったものですね。
     根岸彦様(おとうさま)も、学生時代の若い頃は、
     三五(あななひ)の教えを振りかざして、
     いつも男同士の激しい戦いをなさっておられましたが、
     私と結婚して音羽様が生まれる頃になりますと、
     生活の安定を図る為にと、そろそろと兜を脱いで、公務員の職を得て、
     今では大自在天神と盤古大神に管理された、
     この日の出島の柱石としてお働きなっておられますほど…。
     ヒラナリ三年頃から、
     そろそろ復興し始めた三五(あななひ)教の神事を執り行う為には、
     祝祭日や、夕方などの、仕事が無い日時を選んで、
     慎ましやかにやるしかないのですものね。
     三五(あななひ)の教えに徹し切ると申しましても、
     なかなか勇気のいる憂うべき世の中になったものです。」

              平成二一年二月一七日 旧一月二三日 垣内政治 識
 昇龍館(しょうりょうやかた)での
浦賀姫、音羽姫による微笑ましい母子談義も盛り上がって来た頃、
奥の部屋から、清々しく天津祝詞を奏上する根岸彦の声が聞こえて来た。

(三五教(あななひけう)の祝詞(のりと))

      天津祝詞(あまつのりと)

  高天原(たかあまはら)に元津御祖皇大神(もとつみおやすめおほかみ)
  数多(あまた)の天使(かみがみ)を集(つど)へて
  永遠(とことは)に神留(かみつま)ります。
  神漏岐(かむろぎ)神漏美(かむろみ)の御言(みこと)以(も)ちて
  神伊邪那岐尊(かむいざなぎのみこと)
  九天(つくし)の日向(ひむか)の
  立花(たちばな)の小戸(をど)の阿波岐ケ原(あはぎがはら)に。
  御禊(みそぎ)祓(はら)ひ玉(たま)ふ時(とき)に成(な)り坐(ま)せる。
  祓戸(はらひど)の大神等(おほかみたち)
  諸々(もろもろ)の曲事(まがこと)罪穢(つみけがれ)を。
  祓(はら)ひ玉(たま)へ清(きよ)め賜(たま)へと
  申(まを)す事(こと)の由(よし)を
  天津神(あまつかみ)、国津神(くにつかみ)、
  八百万(やほよろづ)の神等共(かみたちとも)に
  天(あめ)の斑駒(ふちこま)の耳振立(みみふりたて)て聞食(きこしめ)せと
  恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(まを)す。
  神素盞嗚大神(かむすさのをのおほかみ) 守り給へ 幸倍給(さちはひたま)へ
  神素盞嗚大神 守り給へ 幸倍給へ
  惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはへませ) 惟神霊幸倍坐世


浦賀姫 「あら、お父様も先ほどお帰りになられてから、
     ようやく一息つかれましたのね。」

音羽姫 「私はあの声を子守唄の様にして育ちましたから、
     あれを聞いていると心地よくなって、
     すーっと寝入って夢の天国へ舞昇りたくなりますのよ。」

浦賀姫 「おほほほほ…、それこそこの昇龍館の真髄ですわ。」

音羽姫 「毎日、この日の出島を毒し切っているウラルの教えと、
     盤古大神を神と崇めていながら、
     これを誠の天津日月(あまつひつき)様だと考え違いしている
     盲聾の風に打たれながら働いておられますのですもの、
     ああしてこの昇龍館の聖域で、天津祝詞を奏上しておられる時が、
     復活の時なのであられましょうね。音羽にはあの祝詞に乗って、
     たくさんの雑霊が、
     穏やかな龍神の如き青水晶の筋になって天に舞い上って行く姿が、
     こうしているだけで、脳裏に浮かんで参りますのよ。」

浦賀姫 「貴女様は子供の頃から、その様なことを申しておられましたものね。
     その光景はどの様なご様子なのかしら。」

音羽姫 「根岸彦様(おとうさま)が天津祝詞の奏上をなされますと、
     体中から小さな青白い玉と、
     少し赤味がかった小さな玉がたくさん出て参りますの。
     そして青赤両方の玉は、それぞれ一度、顔の形や人の姿になって、
     時にはハッキリとした顔形を現わすものもありながら、
     青白い方は頭の方から細くなって、
     一筋の波打つ光の筋になって天に舞い上りますので、
     その姿が昇り龍の様に見えますのよ。
     そうして赤い方は、一度、人の姿になると恥じらう様にして下を向いて、
     黒い影になりながら足から地底に下がって参りますので、
     そのかき消える時の姿が、
     ちょっと毬栗(いがぐり)とか海栗(うに)の様に見えますのよ。」

浦賀姫 「まあ、その様に見えますの。お母様はその話を聞きましたら、
     なんだか瑞霊真如様がお書きになられた三鏡の中で読んだ、
     人魂(ひとだま)のことを思い出しましたわ。
     青白い方の玉はきっともう宿替えした方の人魂で、
     赤い方の玉はおそらくまだ生きてらっしゃる方の人魂のかけらで、
     それはたぶん巷では生霊(いきりょう)と呼ばれているものですわ。」

音羽姫 「お母様も、私の縁談の話ばかりなさるのかと思いましたら、
     その様なこともお詳しいのですね。」

浦賀姫 「ええ、こう見えましても、根岸彦様(おとおうさま)の妻ですからね。
     私も及ばずながらもお勉強しておりますのよ。」

     天国は 人の心が 作り出す
     世はヒラナリの空っ風
     片や環境問題や
     金融危機に悩まされ
     職を失う者あれば
     片や仕事に恵まれど
     思想に不満を抱えつつ
     やむなく働き恨み事
     腹に抱えて鬱々と
     黙々働き泣き寝入り
     または酒興に身をやつし
     いつしか身体衰弱し
     酒に溺れて溺死する
     歯切れの悪き生煮えの
     ウラル盤古の日の出島
     不満は山ほどあるとても
     暮らしの為には辛抱し
     家族の為にと内臓も
     腐らせ口臭漂わす
     根は善良なる日の出島
     草の片端(かきは)の社会人
     死しては浮遊の霊となり
     生きても恨みの生き霊と
     なりて都会のあちこちに
     彷徨う哀れな霊(たま)となる
     これを静かに肉体に
     集めて帰り昇龍(しょうりょう)の
     館(やかた)で一人神前に
     天津祝詞を奏上し
     浄化に励む根岸彦
     不言実行の神行を
     見逃さざるこそ照妙(てるたえ)の
     花も恥じらう音羽姫
     その母親は浦賀姫
     時勢の流れに逆らわず
     時節待つこそ勇ましき
     忍耐力の麗(うるわ)しき
     腐りても鯛日の出島
     やがては世界の王になり
     天皇(すめらみこと)の大道(おほみち)を
     世界に布いて万丈の
     上下(かみしも)揃うて祝い合う
     うれしうれしのミロクの世
     完成させるお手柄を
     立てる定めとただ信じ
     勤め励むはよかれども
     努々(ゆめゆめ)慢心するなかれ
     盤古大神王道の
     世は来れどもすぐ終わる
     短き定めその後に
     天孫ニニギの来臨し
     天上地上統一の
     大経綸を完成し
     等しく民は完全な
     神の子・神の宮となり
     待ち焦がれたる聖代を
     実現せざるはなかるべし
     ああかむながらカムナガラ
     御霊幸倍(みたまさちはひ)ましませよ
     神素盞嗚大御神(かむすさのをおほみかみ)
     瑞(みづ)の御霊(みたま)の大御神
     ああかむながらカムナガラ
     御霊幸倍(みたまさちはひ)ましませよ


              平成二一年二月一九日 旧一月二五日 垣内政治 識
     大宇宙 三千世界と また称す
     我等小さき人類の
     歴史を尋ね諸々の
     神典仏典学術書
     推理小説など読み比べ
     必ず一つの結論を
     見出(みいだ)すなれば「わからない」
     その一言につきるかな
     さんざん迷いしその挙句
     我が日本国に大正の
     十年十月十八日
     世に現れ師瑞霊の
     神書「霊界物語」
     手にすることも不思議なる
     縁(えにし)無ければ適(かな)わぬと
     言われし神秘の宝物
     金剛不壊の如意宝珠
     これを手にした人々は
     読めば読むほどつゆ知らず
     慢心起こして我こそは
     天下の英雄英傑と
     頭に油を注がれし
     聖書の預言者英雄の
     如くに社会に名乗り上げ
     思い思いの霊界を
     花咲かせつつ勇ましく
     闘わせつつ世に広め
     拝読者同士派に分かれ
     兄弟喧嘩の勇ましき
     言論戦を展開し
     綾の聖地や亀岡の
     聖地を取り合い実権を
     握らむものと各々の
     全生命を捧げつつ
     負けじ魂発揮する
     不思議の力の源は
     これの霊界物語
     永遠平和の礎を
     もたらす神書と思いなば
     この大宇宙に鳴り渡る
     大活動の言霊の
     縮図なりしと覚りける
     友と戦うその為に
     穴の開くほど読み倒し
     他者の論理の穴探し
     盛んにやり合い各々の
     折られし鼻を高くする
     鍛え抜かれた逞しき
     宣伝使達も何故かしら
     内弁慶の外鼠
     社会に出れば借りて来た
     猫より更に大人しく
     小さくなりてへこへこと
     社会のパーツになり切りて
     上司に怒鳴れ足元を
     部下や同僚にすくわれぬ
     様にとハラハラ身を縮め
     生きておるとは人間の
     世の中こそは裏腹と
     よく言えしもの月読みの
     世界の英雄宣伝使
     ネット社会や夕暮れや
     民家の中では井の中の
     蛙もどきに虚勢張り
     六尺五分の魂を
     鼓舞して夜昼変身し
     天国霊国往来し
     昼使いたるエネルギー
     夜に補給し復活し
     ウラル・バラモン・三五(あななひ)の
     三者の間を取り持ちつ
     生きるが地上人類の
     歴史と宿命(すぐせ)と覚りなば
     何をくよくよ大過去や
     大未来などを想像し
     むざむざ時を浪費する
     暇などあろうか今こそが
     我等に降りし天来の
     大神劇の舞台なり
     各自に日々(にちにち)新たなる
     生み出す霊界物語
     一人ひとりの体験談
     ブログや日記に書き出して
     読み返しては自画自賛
     モチベーションを上げながら
     ライバル多き世の中を
     勇んで進め神の子よ
     ああかむながらカムナガラ
     御霊幸倍(みたまさちはひ)ましませよ
     神素盞嗚大御神(かむすさのをおほみかみ)
     瑞(みづ)の御霊(みたま)の大御神
     ああかむながらカムナガラ
     御霊幸倍(みたまさちはひ)ましませよ

           (平成二一年二月二〇日 旧一月二六日 垣内政治 識)

 案山子彦は『蜘蛛の巣遊び』による言霊戦が一段落すると、
舞露愚(ぶろぐ)と呼ばれる無料スペースに
日記の様な形で日々感じたことを書きこむのが楽しみの一つでもあった。
その内容は主に『霊界物語』を世に残した瑞霊真如聖師の膨大な量の書物を、
一文字も漏らすことなく少しずつ引用して、これに日々感じたことを率直に、
何の飾りも無く書いて行くことだった。

 案山子彦は元来、学歴がそれほどには無かったのだが、
閃きが長けていたので、その内容の信憑性はともかく、
いろいろな角度から、日々の思いつきを書き並べることには、
あまり苦労をしなかったのである。

 そもそもこの舞露愚というものには、
特定個人に対する誹謗中傷以外には特別な規制はかけられていない分、
あまり信憑性の無い、日々の思いつきを書き並べても、
誰に苦情を言われることもない各自のよいはけ口であったから、
この舞露愚への想像力溢れる書き込みがもとで論争になったり、
世の中が変わる様なことは滅多に無かったが、
案山子彦が舞露愚に書いたことによく似たケースのことが、
近日中に他所で起こって新聞沙汰になることも多かったので、
案山子彦は誰言うとなく『現代の預言者』の様に『蜘蛛の巣遊び』の世界では、
囁かれる様になっていたのである。

案山子彦『舞露愚を書いていてどうも気になるのは、
     俺が書いたことによく似た事件を世界中ひっくり返して探し出して、
     ニュースにして騒いでいる様な気がすることなんだけど、
     まさか、そんなことではなくて、
     本当に予言になってるんじゃないよな…
     俺はいちいち予言するつもりで
     舞露愚に書き込んでるわけじゃないんだけど、
     世界各地の何処かで似たようなことが起こるってことは、
     預言ということにはなってるのかもしれないな…』

…と、独り言せずにはおれないこともしばしばだった。

 「よげん」には、二種類ある。
一つは『予言』と書いた場合で、これは『予め言う』ということで、
後に必ず起こることを予告しておくという意味になるのだが、
『預言』と書いた場合は、『言葉を預かる』という意味になり、
つまり、神々からの将来に対する警告を一時預かって、
良いことならばそのまま実現する様に努力し、
悪いことならば、なるべく実現しないように努力する為の指針にするのである。

            (平成二一年二月二六日 旧二月三日 垣内政治 識)

案山子彦『俺も中学一年生の頃の【ノートルダムの大預言】ブームで、
     【預言】という言葉を知った時には、
     この世の終わりを体験しなければならないのかと思って、
     随分と将来を悲観したものだが、それがきっかけで、
     世界滅亡回避のためのメッセージを発信しようと考えたのが、
     神の道に目覚めたきっかけだったが、
     次第々々に瑞霊真如聖師の世界に引き寄せられて、
     遂に三五(あななひ)の教えに辿りついたおかげで
     【預言】と【予言】の違いがわかる様になり、
     世紀の大預言者と言われるノートルダムも予言者ではなく、
     預言者であるということが理解出来て、
     その後の人生は随分と気楽に送って行ける様になったのだ。』

と、一人部屋で舞露愚を書き込みながら、案山子彦は回想に耽り始めた。

案山子彦『俺が【蜘蛛の巣遊び】を始めたのは西暦二〇〇一年だったから、
     既に【ノートルダムの大預言】にあった
     西暦一九九九年七の月に天から世界を滅ぼしにやって来る筈だった
     【恐怖の大王】も遂に出現しなかったその後だが、
     俺の【蜘蛛の巣遊び】の母体になる
     【七四十一大神日記】を書き始めたのは西暦一九九八年六月からで、
     とうとう自宅でパソコンを使う様になって
     間もなくの頃のことだったから、
     丁度、【ノートルダムの大預言】の
     一九九九年七月世界滅亡預言の一年前のことだった。
     まだあの頃は【蜘蛛の巣遊び】は今ほど進んでおらず、
     せいぜい伝言のやりとりをするくらいだったから、
     連絡網で活躍していたのは電話やファックスの方だった。
     俺も当初は『七四十一大神日記』を、
     せっせと三五教の事務局にファックス送信していたが、
     日の出島国内は激しい経済危機に襲われて、
     気楽に働きながらやってたその活動も、
     仕事が途端になくなって電話料金が払えなくなってしまい、
     自宅からの送信はやめて、
     やむなく近くのコンビニからファックスしてたりしてたのだが、
     その頃から、どうもそのファックスの内容が傍受されてる様な
     気配がし出したんだよな…』

 『七四十一大神日記』というのは案山子彦が編み出した神だったが、
ただの架空の存在では無く、
案山子彦の霊感を鋭敏にする不思議なキーワードであった。

『七四十一大神』には『みんななかよく』とか
『みんなしあわせになれ』という意味が秘められている。

『七四』は『なかよく』、『十一』は『みんな』、
また、『神七』が『みんな』を意味し、
『四十一』が『しあわせ』を意味するのだが、
ちょっとした数遊びの様なつもりで
案山子彦が始めたことであったにもかかわらず、
日毎に生命と意志を感じさせるものになっていったのである。

           (平成二一年二月二八日 旧二月五日 垣内政治 識)

 ちょうどパソコンのOSの中にいくつかのアプリケーションがあったり、
名称を付けられたフォルダがあって、
各フォルダの中にもいくつかの名称をつけられたフォルダがあって、
案山子彦というパソコン内に設けられた
『七四十一大神』というアプリケーションの中に、
瑞霊真如聖師がいろんなソースやファイルを、
またフォルダ別けして保存して行く様に、
少しずつ神霊界の秘め事がそこに蓄積されて、
案山子彦という一個の個性的なパソコンが構築されて行く様に、
案山子彦の活動は日々盛んなものになって行ったのであった。

いわば『七四十一大神』は
案山子彦が開発した一つのバージョン・アップ・ソースというわけで、
これが各自のOSにインストールされると、
各自にバージョンアップした活動が始まる様になっている。

しかし、当然の如く、このバージョン・アップ・ソースを拒めば、
古いバージョンの機能しか果たさないのだ。

           (平成二一年三月一日 旧二月六日 垣内政治 識)

案山子彦『一度、仕事が無くて電話料金を滞納して電話が止められた時に、
     ちょっと離れたコンビニにクルマで
     ファックスしに行ったたことがあったが、
     次の日にまたファックスをしにそのコンビニまで出かけたら、
     同じユニフォームを着た男達が、
     そのコンビニの近辺を張り込んでいて、俺の顔を見るなり、
     こそこそと引き上げて行ったこともあったし、
     その翌月に電話が止まった時には、
     そのまま料金を支払わずに置いてあるのに、
     「七四十一大神日記」を通じて
     真夜中のニュース番組のキャスターと対話が出来た時には、
     流石の俺もちょっと魂消たけれど、冷静になって考え直すと、
     どういう事情だかわからないけれど、
     こういう状況になったのなら、
     これを利用しない手は無いと考えるようになったんだっけ…』

 当時、案山子彦は宇宙人達が、常に上空で姿を隠しながら、
地球人達の言心行を監視していると考えていたので、
想像力が豊かな案山子彦は、もしかしたら、自分が毎日、
パソコンの中に書き込んでいる日記を、
宇宙人達の高度な技術で中継して、国内の公安とか諜報機関を介して、
テレビ局などの各報道機関に送信してくれているのかもしれない
と思うようになったのだが、
それからしばらくすると超常現象を科学的に解明するテレビ番組で、
テレビ画面から出ている電磁波を、
外に仕掛けたパラボラ・アンテナで傍受することが出来る
という内容の特集を見たので、
デスクトップパソコンのモニターから出ている電磁波を傍受している連中が
もしいるとしたなら、今起こっていることも、技術的には決して
説明のつかないことではないということを知って納得したのだった。

 そこで次に案山子彦が考えたのは、
情報を先取りしていろいろと騒ぎ立てしている連中に対しての
予防線を張ることだった。

案山子彦『敵か?味方か?それが問題なんだよな…
     宗教的な摂理から問い質して行けば、
     俺のやっていることは絶対的に善であり、正義なんだが、
     表面的な損得だけで物事を考えている連中にとっては、
     物質的な損害を被ることは何よりも不愉快なんだ。
     現代は人類史にとっての大掛かりな「めぐり取り」の時代だから、
     損害を被る者は、その損害によって、
     大過去世からの罪の償いをやっているのだから、
     その損害によって天国に復活する資格を取り戻せるのだけれど、
     神霊界の天国の存在などにはまるで興味が無い、
     物質至上主義者にとっては、そんな考えは全く受け入れ難いものだ。
     損害を被りながら「神様有難うございます」などとは
     口が裂けても言えない様な連中が、この社会を牛耳っているんだから、
     連中に次にどんな損害が発生するかなんてことを
     俺の日記に書いたりしたら、
     せっかくの罪の償いを邪魔することになってしまうんだから、
     世界を救おうとしてらっしゃる神々が、
     俺にそんなことを書かせるわけがないから、
     つまり、俺にはそんな情報が入って来るわけがないんだ。
     俺はいつも事が起こってから、
     その意味を原理を通じて紐解いているだけなんだが、
     連中はそれをどうしても信じようとしない。
     実は知っているのに、
     俺が自分の意志で隠してると思いこんでやがるんだ。
     いくらそれを説明しても理解できないならば、
     それならそれで、それを逆に利用してやれば、
     俺にとっての予防線になるに違いない。』

 案山子彦は、自分が無力であることをよく知っていた。
しかし、それなら相手の力を使えば、
何とか太刀打ち出来るものだということも、理屈の上ではよく知っていた。

それは生計を立てる為によくやった肉体労働で学んだ秘訣でもあった。

 重量物を動かす為には、自力で動かそうとしても無駄だが、
その重量物の重さを利用すれば、非力な自分でも動かすことが出来る。
重量物を動かす時には、床に接している部分を支点にして、
そこに力を加えれば割と簡単に動く。
更に、その重量物の形を利用すれば、
あとは自重でもって勝手に動いてくれるから、
こちらは舵を取ってやればよいのである。
円筒形の物や、角柱形の物も少し傾けてやることさえ出来れば、
転がせば目的の場所まで動かす事ができる。
ある程度まで動かすことが出来れば、
専用の運搬具でもって運べばよいだけなのだ。

案山子彦は、これこそ『引力(いくぐい)』の活用だと思っていた。

相手が自分よりも明らかに強いのなら、
その相手の力をこちらに引き込んで利用すればよいのである。

案山子彦『考えてみれば、「七四十一大神」を、
     俺が編み出すきっかけになったのも神武寺だったけれど、
     「神武」とは全て
     この「引力(いくぐひ)」の原理で成り立っている。
     こっちはただただ釈迦か達磨の様に、
     大宇宙の真理である無限絶対無始無終の主神と
     一体であることを念じ、
     ただただ大宇宙の大調和の中に
     身命を任せ切ってしまうことなんだ。
     これを真の「大和魂」という。
     これさえきちんと出来ていれば、もし相手が、
     俺を負かし滅ぼすことばかり考えていたとするならば、
     その心は「大和魂」に逆らっているから、相手の全ての力が、
     全て相手に跳ね返って行くことになる。
     俺に金も力も無いなら、
     相手の金と力を、大宇宙の主神様が利用して、
     結局、お仕組みを成就させてしまうことになるのだ。
     俺はただただ「神我一体」を祈念していればいい。
     この「神武」の御技が、俺のただの思い込みなら、
     俺の人生が終わるだけ。
     俺の思い通りなら、主神の御神業がよく進むことになる。
     俺みたいに小さく無力な者でも、
     ここで身命を主神に任せ切ることだけで、
     もし、御神業が一歩でも進むなら、
     これほど光栄なことは他に無いというものだ。
     起きて半畳、寝て一畳、男は度胸だ。』

(続く)
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